「……兄ちゃん」
「匡海さんっ」
どいてろ。
洸ちゃんを押し退けた匡海兄ちゃんからは、何の感情も読み取れなかった。
でも、こういうときの兄ちゃんが一番怖い。
そう思った瞬間。
「匡海さんっ!!!」
バキッ!
凄い音と衝撃が俺の身体を貫いて、後ろに吹っ飛ばされる。
と同時に、鶴橋巡査か明野さんのヒュ〜♪というなんとも楽しげな口笛が聞こえた。
「匡海さんっ!出掛ける前に、殴らないって約束したじゃないかっ」
「お前は黙ってろ」
洸ちゃんの声に重なるように、兄ちゃんの低く唸るような声が響いた。
吹っ飛ばされた身体は、後ろにいた鶴橋巡査に受け止められて倒れはしなかったけれど、兄ちゃんのパンチは相当な力だったみたいで、俺は膝から崩れるように廊下に尻をついてしまう。
二人の小さな弟は、驚いて口も目も開けたまま固まってるし。
「郁くんっ!」
涙目の洸ちゃんが、俺を庇うように傍に座る。
でも、二度目のパンチは無くて、仁王立ちの匡海兄ちゃんが上から見下ろす格好で呟いた。
「どうして殴られたか、解ってんだろうな」
「…………うん、解ってる」
口の端が切れて、血が流れてきた。
口の中も鉄臭さが充満している。
「大丈夫?」
洸ちゃんがハンカチを当てながら心配そうに聞いてくれる言葉に、俺は痛みに痺れた頬を何とか動かして笑い返した。
「うん、大丈夫だから。洸ちゃんもう泣かないでよ」
「洸大を泣かした分も殴りたいくらいだ。それを一発で我慢してやったんだからな」
「……うん、解ってる。兄ちゃんに俺……ちゃんと健大を守るって言ったのに守れなかったんだから、怒られて当然だって……ちゃんと解ってる」
「匡海さんっ!郁くんはちゃんと僕を助けてくれたよっ!」
健大が声を張り上げて、匡海兄ちゃんと向かい合うようにして俺の前に立つ。
こんなふうに声を上げる健大を初めて見た。
それは洸ちゃんも同じだったようで、驚いたように健大を見上げている。
「泳げない僕を一生懸命助けてくれた!」
「俺が言ってるのは、そういうことじゃねーんだよ」
「自転車を二人乗りして河に落っこちた事なら、郁くんだけじゃなくて僕の責任だってあるんだから、僕も殴ってくださいっ!!」
それでなくても俺が殴られたところを見て真っ青になってる健大を、兄ちゃんが殴れる訳がない。
兄ちゃんは小さく溜息をついて、健大の頭をガシガシと揺らすように撫でた。
その拍子に零れ落ちた涙を、乱暴に拭ってやる。
「あのな、郁海はお前を守ると俺に約束したんだ。それなのにこいつは、約束を口にした舌の根も乾かねーうちに、調子に乗って自らお前を危険な目に合わせたんだ。一発殴られただけで済んで良かったっつーもんだろ」
「でもっ」
「お前の中学受験も取り消して、将来姫蔵に行くことも出来なくしてやることだって出来るんだ」
「……っ!」
「こいつと俺の約束ってのは、そのくらい真剣で厳しいもんだってことだ」
中途半端な気持ちでは、姫蔵のことや匡海兄ちゃん達に関わらせない。
俺が忘れてしまっていたのはそのことだった。
ずっと、兄ちゃんの背中を見て育ってきた俺が、一番良く解っていて、一番忘れちゃならなかったのは、俺達に背中ばかりを見せていた兄ちゃんが実は、背中しか見せられないくらい一生懸命になって俺達を守ってくれていたからなんだってこと。
俺達兄弟が、姫蔵の奴らに指一本触れられることなく自由に生きてこれたのは、兄ちゃんの背中がそれを守ってきてくれたからなんだ。
やりたいことはたくさんあっただろう。
兄ちゃんの自由と引き換えに、俺は勉強以外に陸上やサッカーなんかをやって、友達と遊んで楽しんでこれたんだ。
背中を見せていた兄ちゃんの、正面の顔は……本当はどんな表情をしてたんだろう。
兄ちゃんは一度だって、その顔を俺達に見せたことなんてない。
それが、兄ちゃんの覚悟の現れだから。
「……健大、いいんだ。俺が悪かったんだから」
一度だって、俺達兄弟は傷つけられたりしたことはなかった。
初めて……生まれて初めて匡海兄ちゃんに殴られた。
守るってことの重さと大切さを、改めて教えてくれたんだ。
「もう忘れねー。一度誓った言葉は絶対に反故にしない」
「その言葉、忘れんじゃねーぞ」
「じゃあ、僕も」
「お前は中学受験が最優先。その先は郁海とゆっくり話し合えばいい」
結局、兄ちゃんは俺の目指すところを認めてくれるんだ。
「郁くん、痛くない?」
兄ちゃんと洸ちゃんが鶴橋巡査と一緒に検査結果を聞いている間、頬を冷やす為に健大がナースステーションから氷を貰ってきてくれた。
それを当てながら傷の心配をしてくれる。
「大丈夫。痛みはだいぶ引いたから」
「ごめんね、僕がもっとしっかりとナビしていたら」
「何言ってんだ、俺が調子に乗ってたのが悪いんだ。健大を守るって言ったのに反対に危険な目にあわせちまった」
「……僕だって」
健大が唇を噛んだ。
「僕だって、守られてばっかりなんて御免だから」
「……は?」
「郁くんと一緒に自分の道を歩くって決めたんだから、僕だって郁くんを守る」
「健大……」
そう。
俺一人だけで、何でもやれるわけじゃない。
一人では越えられない壁だって、健大と二人でなら越えられることもある。
二人で目指すって決めたんだ。
健大と二人で。
「おっはよう!鶴橋巡査」
「おー!郁海ぃ、健大、おはようさーん」
「おはようございます」
家から駅までバスに乗って、駅からは歩いて学校へ向かう。
途中にある交番には、顔見知りの警察官。
そこから歩いて30分。
俺達の通う学校は丘の上にある。
今は……満開の桜。
俺達の通う学校は桜の名所でも有名だ。
「じゃあ郁くん、お昼休憩にね」
「あぁ、健大今日から頑張れよ」
「郁くんも」
俺は中学三年生になった。
そして健大は……俺の学校の後輩としてこの春に清城に入学してきた。
俺達は道を進み始めたばかり。
「なぁ、今年はすげぇ可愛い新入生が入ってきたってさ」
「それだけじゃねーぞ、新しい先生もすげぇ可愛いってさ」
−ったく。
年中発情してんのは人間だけだって言うけど。
もう少し上品になれねーかな。
「郁海ー、お客さんだぜ」
「はぁ?」
教室の入口から声を掛けられた俺は、振り向きざまに固まる。
ドアのところにクラスメイトの人だかり。
しかも廊下のほうにも人だかりが。
「な……なんだよ、あれ」
「例の噂のさ」
「噂?」
さっきクラスメイトが言ってた可愛い奴らのことか。
で、俺の客って……。
「郁くん!」
「健大!?」
「郁くん、僕のクラスの先生って尚央さんだったよ」
えーっ、郁海の知り合いかよー!
なんだよー、折角可愛い子が入ってきたかと思ったのにー。
口々になんとも残念な声が上がる。
俺の目の前には健大と、それから小柄な男性が一人。
「君が郁海くん?鶴橋君から色々と聞いてるよ」
…………あ、この人が。
「郁海くんは随分と元気がいいから、よく面倒見てやってくれって」
「……尚央さん?」
健大が不思議そうに首を傾げている。
まだまだ監視付きってことか。
「郁くん?」
「健大、俺達、目指す場所までずっと一緒だよな」
「……うん、そうだけど?」
健大もその気なら、遠慮は要らねぇ。
「健大、飛ぼうぜっ」
「えっ!?」
健大の手を取って、黒集になった野郎供の中から引っ張り抜いた。
そのまま教室を抜けて、窓から健大を抱えて外へと飛び出す。
「うわっ!郁海っ、ここ二階っ!!」
「んなこと解っとるわ――っ!」
「郁海くんっ!健大っ!」
飛び立とう二人で。
目指す場所まで。
そこから更に高みまで。
ずっと一緒だ。
健大。
〜END〜
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テーマ : 自作BL小説
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